大判例

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福岡高等裁判所 昭和43年(う)22号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人等を各罰金五、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

但し、本裁判確定の日からいずれも三年間右各刑の執行を猶予する。

領置してある立会封金五〇〇円札一枚(福岡高等裁判所昭和四三年押第四四号符号一)は被告人川中ギノから、立会封金五〇〇円札一枚(同符号三)は被告人浜田マサコから、立会封金五〇〇円札一枚(同符号五)は被告人若林楽からそれぞれ没収する。

被告人藤沢イチから金五〇〇円を追徴する。

原審並びに当審における訴訟費用は全部被告人等の負担とする。

理由

検察官樺島明が陳述した控訴趣意は記録に編綴してある検察官野田英男提出の原審に対応する検察庁検察官竹中知之作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対し弁護人吉田孝美が陳述した答弁書は記録に編綴してある反駁書に記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

右控訴趣意(事実誤認)について。

よって所論に鑑み原審の事実認定の当否について検討するに、原判決挙示の証拠によれば、川端甚平は大分県北海部郡佐賀関町の次期町長選挙に現町長須川勝造が立候補する決意を有することを知り、これまで須川町長から葬儀の際花輪が届けられなかった家庭に不平があることをきいて、同町長を説いてこれらの家庭を廻って仏様参りをさせ、その際、ひそかに次期町長選挙の際には現町長の須川勝造に投票を得しめる目的で投票を依頼し、報酬として現金五〇〇円を供与しようと考え、同額の現金の入った須川勝造名の香典袋を用意して、昭和四一年一一月一五日須川町長、林田治太郎と共に被告人方を訪れることとなったこと、そこでまず右川端等三名は被告人川中ギノ方をたずね川端から息子さんの葬式には町長は参ることができなかったのでお参りさせて下さいといったところ、川中ギノは四男八十吉が昭和四〇年一〇月二一日死亡してから一年以上もたつのに選挙が近くなってから仏参りに来たと思うと腹が立ったが、川端や林田が同部落の者であって、とりあわないと失礼になると考えともかく座敷にあげることにしたこと、そこで須川町長と川端は仏間で礼拝したあと川端がひそかに仏壇に前記用意の香典袋を置いて退出し帰りの挨拶をして林田と共に帰っていったこと、しばらくして同被告人は仏壇を見ると香典袋があるのを見つけたが、町長選挙のときは須川に投票してくれという意味でその報酬であると思ったものの、これを返戻するのも義理が悪く、開封しないでそのままにしておいたこと、そして昭和四二年一月一六日警察官の取調を受け同年二月一〇日右香典袋を警察官に提出したこと、川端等三名は被告人川中方に続いて昭和四一年一一月一五日被告人浜田マサコ方をたずね川端が仏壇に参らせてくれといって須川と共にお参りをし、前同様の香典袋をひそかに仏壇に置いておいたこと、同被告人は別間で須川町長等と応待したがその際同被告人の父の葬儀のときは不在で参られなかったので今日参らせてもらったと挨拶があったので同被告人は今頃になっておかしなことと思ったこと、川端等三名が同被告人方を辞去する際川端から同被告人に対し次期町長選挙に須川が立候補するのでよろしくお願いするといったこと、同日午後五時三〇分頃、同被告人が仏壇に灯明をあげにいくと、須川勝造名の香典袋があるのを発見し、上記川端の言葉と思い合せて次期町長選挙のときには須川勝造に投票を依頼しその報酬の趣旨であることが分ったので家族と相談しそのまま仏壇にあげておいたこと、昭和四二年二月一〇日警察官の取調を受けたのでその際これを提出したこと、次に川端等三名は右被告人方に続いて昭和四一年一一月一五日被告人若林楽方をたずね、前同様申出をして仏壇にお参りしたが、同被告人は夫音二郎は前年三月死亡したのに今頃になって馬鹿にしていると腹立たしくなったこと、川端は仏前を退去するにあたってひそかに用意の前同香典袋を仏前に置き、同家を辞するにあたって右被告人に対しお願いしますといったこと、同被告人はこれをきいてこれまで来たことのない町長が来て仏様にお参りしたのは次期町長選挙が近くなったので同選挙のときには須川勝造に投票をたのむということをいているものと思ったこと、そしていつものように夕刻仏壇にお参りをしたとき須川勝造名の香典袋が置いてあるのを発見し同人に投票依頼の報酬を香典にかこつけてくれたものと思ったこと、そこでそのままにしておいてしばらくしてから開封してみたら現金五〇〇円が入っていたこと、そして須川勝造名の香典を返すわけにもいかず、そうかといって仏前に置くことは他人がお参りしたとき変な眼でみられてはと思って袋は破り捨てて別の封筒に入れて仏壇の抽斗に入れておき昭和四二年一月一六日警察官の取調を受けるに至って右現金五〇〇円を提出したこと、川端等三名は昭和四一年一一月一五日右被告人等方をたずねたあと、石崎泰子方及び相浜庄市方を訪れ更に被告人藤沢イチ方をたずね、同被告人に対し仏様を参らせてくれと申出たこと、同被告人は昭和四〇年に母が死去したときは町長の花輪が届けられなかったので、そのわびに来たと思っていたこと、須川町長と川端は仏前で礼拝した後川端がひそかに前同香典を仏壇に置いて同家を辞去したが、その際同被告人に対しよろしくお願いしますといったこと、同被告人は次期町長選挙に須川勝造が立候補することは知っていたし、部落の有志が一緒であったところから選挙の際に同人に投票するよう依頼するものと思ったこと、そして同日午後七時頃仏壇に燈明をあげにいくと須川勝造名の香典袋が仏壇に置いてあって、孫の昭二が封を破ったので中を見ると五〇〇円札一枚が入っていたので、須川勝造への投票を依頼しその報酬の趣旨であると思ったが、封を破っているので返すわけにもいかず、そのままにしていたら長男忠一から叱られたので財布に入れておいたが、いつの間にか使ってしまったことを認めることができる。

右によれば被告人等の中には当時香典袋の内容が幾何の金員であったかについて認識するところがなかったものがあるにしても、内容が現金であることは了知していたものであり、しかも実質が選挙投票の報酬であると知って仏壇にそのままにしておくとか、返すのも義理が悪く返すわけにもいかずそのままにしていたというのであり、特に被告人藤沢イチは費消しており、いずれもこれら金員を自己の支配下におき、警察官の捜査を受けることがなかったならばそのまま同被告人等に帰属するに至るは自然のなりゆきと思われる状況にあったもので、その利益を自己に帰属させていたというを妨げず、被告人等は川端甚平から須川勝造に当選を得しめる目的をもって同人に投票するよう依頼しその報酬として供与されることを知りながらこれが供与を受けたものと認めることができる。

すると、原審が被告人等は警察官の取調を受けるまで右金員の趣旨を了知していなかったものであり、また返すことの気まずさの故をもって一時保管していたにすぎないとして受供与罪の成立を否定したことは証拠の取捨価値判断を誤り事実を誤認したものというべくこの誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れない。論旨は理由があり、答弁は採用しがたい。

そこで刑事訴訟法第三九七条第一項により原判決を破棄したうえ同法第四〇〇条但書に従い更に判決をすることとする、

(罪となるべき事実)

被告人等は昭和四二年一月二〇日施行の大分県北海部郡佐賀関町町長選挙の選挙人であるが、いずれも昭和四一年一一月一五日各肩書住居において川端甚平から同選挙に立候補の決意を有する須川勝造に当選を得しめる目的をもって同人が同選挙に立候補のあかつきには同人への投票を依頼しその報酬として供与されるものであることを了知しながらそれぞれ現金五〇〇円の供与を受けたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人等の判示所為は各公職選挙法第二二一条第一項第四号に該当するので所定刑中いずれも罰金刑を選択し、その罰金額の範囲内において被告人等を各罰金五、〇〇〇円に処し刑法第一八条により右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置し、情状により刑法第二五条第一項を適用して本裁判確定の日からいずれも三年間右各刑の執行を猶予し、領置してある立会封金五〇〇円札一枚(福岡高等裁判所昭和四三年押第四四号符号一)は被告人川中ギノ、立会封金五〇〇円札一枚(同符号三)は被告人浜田マサコ、立会封金五〇〇円札一枚(同符号五)は被告人若林楽が本件各罪につき収受した利益であるから公職選挙法第二二四条前段によりこれを没収し、被告人藤沢イチが本件罪につき収受した現金五〇〇円はこれを同条前段により、没収すべきところ費消して没収することができないので同条後段によりその価額金五〇〇円を追徴し、原審並びに当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い全部被告人等をして負担させることとする。

よって主文のとおり判決する。

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